1・当該構想の経緯
当該構想は、1986(昭和61)年9月に北海道鉄道研究会が作成した「C623機復元計画意見書」(私案)の付属としてまとめられた「専用客車に関する提案」に端を発する。
当時SL復活の会(北海道鉄道文化協議会の前身)では、復元したC623機の牽引する機材を「札幌運転所14系500番台座席車」6両と想定していたものに対し、利用者の中核は「蒸気機関車の時代」に郷愁の感覚を持っている世代と鉄道ファンであり、これらの広域的且つ複数回利用と言う「誘引」を図る為にも、11月末で全国的に用途が廃止される在来型一般客車を使用する事と、「急行ニセコの再現」として将来的に「札函間運転」までも構想していた事に対して、長距離列車内での旅客の「飽き」を感じさせない為に、それら在来型一般客車から食堂車とグリーン座席車を改造し編成させる、と言う構想を出したもの。
残念乍ら原文は散逸して存在しないが、その中に「専従乗務員とボランティア警備添乗員」及び「スハフ42改造の軽食堂車(スハシ49)」「オハ47改造のグリーン座席車(オロ49)」が含まれていた。
1988(昭和63)年7月に北海道鉄道研究会・吉野代表(当時)と日本トレインクラブ・福地会長(当時)が、北海道鉄道文化協議会・工藤専務理事(事務局長兼任)と会談した際に「魅力的な列車の創造」として「従来に無い列車を構想し、よってC623機の現行列車に陳腐化が見られた際の次の手として、新造を含めた蒸気機関車牽引を専用した客車の開発」が話題となり、寝台車・食堂車・展望車を中心にスケッチ的に研究に着手、1992(平成3)年7月には或程度の基礎が固まったものの、鉄文協の内紛等で提案の場は失われてしまった。
一方、1997(平成9)年に設置された銀河鉄道では、鉄道車両の廃車体を活用した喫茶店等を構想、この際に北海道鉄道研究会の「機材研究資料」が大いに役立ったのだが、一歩進んだ独創的な機材構想へ発展、その中途資料等が交通文化連盟に引き継がれたのである。
2・精査
交通文化連盟に継承された当該構想は、あくまでもC623機とそれに連動した小樽・後志地域への観光客誘引の為の長距離列車であり、広く全国的に需要が想定される「簡易路線」用のものでは無かった。
この為、構想を0に戻し(ここで機材称号の「0系」となった)、今後需要が想定される簡易規格の山岳ローカル鉄道での使用に原点を変更し、スケッチを図面に書き直した。(2002年12月)
しかし、デザイン的に欲張ったものとなり、汎用性に欠ける一方、重量的に100トン3両と言う「原則」を満たすものにならなかった為に再度アイデアを構築し、基礎が出来上がったのが2004年1月だった。
車内設備や乗務員の作業動線をこれに加えて、構想として満足出来得るものとして訂正したのが2004年8月で、これを基として全体構想を再検証をし、連盟の交通文化財調査研究委員会の解散(2004年9月末)に合わせて一応の研究完成とした。
その後構想原案としては2005年1月末にまとめたものの、再度機能的に機材類別を整理し直し現在訂正・再作図作業を行っている。
(御閲覧の皆様へ/現在、図面等は再度作図しておりますので、公開が遅延する事になりますが、御容赦頂きたく存知ます。/文化局交通部鉄道事業科)
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