SL=蒸気機関車だけでは無く、交通文化財全般と広義として、例えば公園の片隅にひっそりと置かれているものも、今日も雄々しく駆ける・飛ぶ・航行するものも、人間が機械と裸でぶつかり遭っていた時代の、メッセージと考えております。
そして、復元・運行を支える技術だけでは無く、これもものを作り、保つ「機械技術」だけでは無く、人と接し、文化を創る事も広義としての技術と捉えることができますし、その技術そのものが文化だと思うのです。
時代は効率的・合理的・高速度を求めており、それに応えて産業も交通も効率的・合理的・高速度なものを実現しております。その一方で、経験と勘に裏付けられた技術が軽視され、「ものづくり王国・日本」は徐々に消滅しようとしております。
北海道・小樽市に「SL修繕の神様」と呼ばれた方がいらっしゃいます。彼は15歳で鉄道職員になり、20歳で蒸気機関車の機関士をして戦争から復員してから「蒸気機関車検修」(検査・修理=SLの医師みたいなものです。)に入り、60歳で定年・退職以後に日本最大最速最美のSL・C623機の復元の監修を行い、その方を中心とした「国鉄小樽築港機関区検修OBチーム」はその高度な技術力は3週間・数百万円で「公園のレール上の文鎮」を「走る蒸気機関車」へと甦らせたのです。(JR北海道による本格的修繕では一億六千万円が掛かりました。)
145tの文鎮とは凄いものですが、本格復元工事も札幌の苗穂工場で、やはりOBの「SL工事の神様」と言われた方達が、風雪に13年も放置されていた鉄塊を「営業用鉄道車両」として仕立てたのです。
「SL検修の神様」は「シベリアオオカミ」のニックネームだそうで、広い喧噪とした扇形庫(扇の形をした機関庫)で通る声で作業指示をしていて、温厚な皺笑顔から想像の付かない厳しい方だった、とか。
「学校で教えてくれるのは大学でも尋常小学校でもイロハのイでしかねぇんだわ。」自分の指で、眼で、鼻で、体で覚えたものは「忘れないよ、覚えるじゃ無くて盗んだものだから、染み付いているんだなぁ」、同じ蒸気機関車・C62でも「全部癖がある。人間と同じで、自分の子供だって、兄弟姉妹似ている所はそりゃ一杯あるけれど、良く見ると全部癖も体質も違うんだ。」
今日の電車や気動車と違い、蒸気機関車や在来型一般車と呼ばれるレトロ客車はその癖の差異が顕著だと良く伺いました。鉄道や船舶は「知識工学」に対して、「経験工学」の際たる分野だそうです。
その「経験工学」の技師は「現場」でしか「創る」事は出来ません。学歴も資格も無関係で「こだわって、粘る。その十年、二十年の積み重ねでしか育たない。」ものです。そして、経験工学は図面や書類で継承させる事が不可能であり、また一度途絶えてしまえば消滅してしまうものです。実例として蒸気機関車の場合、国鉄が蒸気機関車を全面撤退させたのが昭和51(1976)年3月で、この時点で国鉄に蒸気機関車の検査技師と機関士の技術は途絶した訳で、その時点で国鉄準職員・庫内手として就職して1年目の最若年者でも、中学卒業直後採用で16歳、機関士ならば3年は加算されて19歳で機関助士ですから、検修技師でも43歳、機関助士でも46歳、その当時に第一線だったとして検修掛・機関士共に30歳として67歳と(平成15年換算)なりますから、高齢化と共に死亡による技術の途絶は既に進行している重要にして不可避な課題です。
「こだわって、粘る。」その積み重ねを支えるもの、それは「検修屋の意地、技術屋の誇り、精神だね」「機関士としての精神、魂だね。」と「随一」と言われた技師達は口を揃えておっしゃいました。精神は技術以上に継承は困難です。しかし、その両方が揃って始めて「一人前の鉄道屋の仕事が出来るんだわ。」とも。
その現場に日常にせずとも、精神は継承できる。そして文献から「技術」はわずかでも「復元」出来ても、一度失われた「精神」は二度と戻らない、推測しか出来ません。更に精神は先輩達の肌と言葉でしか受取り、理解し、後継する事は出来ないのです。確かに、時代に逆らった無意味な・・・と言われる方も又多いのは事実です。しかし、五十年、百年後にその「技術と精神」を後継し継承する者が居なければ、どんなに金銭を積んでも、石炭をくべて走る本物の蒸気機関車を子孫に見せる事も、前述の親子の様な笑顔のお喋りも見る事は出来なくなるのです。
交通文化連盟の提唱する「交通文化財の保存・活用」の「保存」には、機材や施設、建築物の保存と同時にそれらを生かし、動かしする「技術と精神」の継承と後継を含んでおります。否むしろ、その「技術と精神」の継承と後継こそ、私達が成すべく事業であり、使命であり、出世の本懐であると思っております。
実は同じ蒸気機関車でも機種によっては部品や機器の構成・作用、設計そのものが全く異なるものがあり、同じ機種でも使われていた地区が異なると全く別の機関車と言って差し障り無い程の差異があります。例えばD51機・上越線の運転が出来ても、C62機・函館線の運転は出来ません。これは「高崎運転所」の機関士の技術が低いものでは無く(高崎運転所の機関士・検修技師は今日JRでも最高峰のSL技術陣で、D51機の他にC57機、C58機、C11機、C56機と5機種の運転・検査の経験を持つ最多機種運行技術チームです。)、C62機にはストーカー(自動給炭器)と言う他機種には無い基幹設備がある為なのと、急勾配急曲線が連続する路線を特に空転がし易い「軸重軽減化工事施工」機で高速運転する為に、その安定には独自技術が不可欠な為です。
一、に当然なのですが路線区間の選定とその路線に適合した機材の選定です。交通機関の車両・船舶・飛行機はどれも国土交通省に届出をして認可された「戸籍」があり、鉄道では車籍と申しますが、その取得が不可欠で、この車籍を得る為にも運転される区間が第一になります。鉄道線路はその設計上どれ位の重量に耐えられるかランクがあり、そのランクから使える機材も限定されるのです。
二、に厚生労働省労働基準監督署のボイラー検査(別称「ボイ検」「汽缶検査」)をパスしなければなりません。蒸気機関車もボイラーそれも高圧ボイラーですから、労働安全上厳しく検査され、危険なものは無論使用できません。直接人命に関わることですから、法律が厳しい!なんて言うレベルの話では無く、不可欠なのです。
三、に車両検査です。その使用される(運行される)鉄道会社の基準に適合して安全に運転できますよ、と言う証明・保証を得る為のもので、これは鉄道工場等で実施されるのですが、その検査(修理・修繕)の技術者自体が不足している昨今、それが出来るのがJR北海道苗穂工場・JR東日本大宮工場・大井川鉄道大鉄技術サービス・JR西日本梅小路運転所・JR九州小倉工場と5箇所だけ。全国16両の蒸気機関車はこの5つの工場で「車検」を受けて、同時に修理・保守されているのです。(検査はほぼ4年毎の「全般検査」、2年毎の「中間検査」、半年毎の「6ヶ月検査」、そして日々運転前の「仕業検査」があります。このうち「全般」と「中間」は工場で行われます。いわば「総合病院」での精密検査みたいなものです。)
四、に車両使用申請です。車籍取得会社がその自社線内だけで使用する場合は大抵車籍の申請が使用申請を兼ねるものとなりますが、これが他の会社線でも使われるとなれば、その機材(機関車だけでは無く全部の車両が対象)をうちのレールで走らせますよ、と言う届出が必要となります。
この前段として資金的問題や運転技師(機関士)・整備技師(検修技師)の資格の取得や人材や運転基地の確保、警察や各行政機関との調整等がありますが、機関車復帰の作業だけでも1億円以上が必要で、更に復元素材となる機関車は結構全国にあるものの、客車が絶対的に不足していたり、困難さは日々深刻化しております。
しかし、何よりの障壁は「交通文化財保存活用」と言う市民意識が低い事と、技術・精神を継承した人材の不足・減少です。
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