交通文化連盟は蒸気機関車復活だけの特定非営利活動法人ではござません。しかし、その法人としての目標は日本最大最速最美の蒸気機関車、C623機とC622機による重連運行の復活と永久的継続です。

 総事業費四十数億円(試算)のプロジェクトになるもので、勿論一NPOが如何ともできない壮大な構想でもあります。しかし、資金以上に蒸気機関車復活を阻むものは沢山あります。しかしその御理解と御支援をして頂く一人が何より重要なのです。その一人が二人、十人・・・と拡がる中で様々なアイデアとエネルギーが倍加され、多くの人の情熱は百億・千億の資金など難なく左右する事となりましょう。その一歩、それが私達の目的であり使命であり、交通文化連盟の役割なのだと、二十年の蒸気機関車支援運動で知り学んだことであります。


 文化は数日・数年のイベントで開花し、定着するものではありません。何故なら文化の礎は「人」であり、「人」がその生き方を自己とその周囲の満足する方向に進んだ時に、一つの途中結果或は終着で咲かせる結果が「文化」だと思うからです。

 文化は「花が咲く」との原意だとか、人には個々に自分だけの華があります。東洋哲学では「桜梅桃李」と呼ばれますが、まさに自分だけの、今世現世に自分だけが咲かせる華があるのだと説いており、私達もまさに「自己の桜梅桃李、華咲く」を目指して運動を続けて参りました。

 思えば人の一生は儚(はかない)かも知れません。その「儚」から「にんべん」を取ると「夢」と言う字になります。人=自分と言う枠を外した時、夢はその人の人生の枠を超えて多くの人を動かし、継承され、後継され、永く生き続けて行く、そんな意味に考えるのは誤りなのでしょうか?


 昭和63(1988)年4月29日、小樽駅を出発した「C62ニセコ」号の車内で、当時国鉄小樽築港機関区企画室でC623機復活のキーマンだった方は「法的にも労組からも、国鉄当局からも障害が出てくじけそうになった時、ふんばれたのは、手宮(小樽市手宮の北海道鉄道記念館、現在の小樽交通記念館)からロクニ(C623機)を引っ張り出した(復元調査の為に小樽築港機関区へ移送した)時に近くの幼稚園の子供達が大勢見送りに来てな、おじちゃん、走る汽車見せてね、約束だよと言われて、自分の為でも、国鉄やJRの為でも、機関区の為でも無い、これは子供達に走る本物の汽車を見せる為にやるんだって、その約束の為にって、不思議とな、勇気が湧いて来たんだ・・・それが夢だってなぁ・・」

 前述のシベリアオオカミこと「神様」も、「孫達がワッて歓声上げたんだぁ、汽笛聞いた時にな、3号機をとにかく永く生かして、孫がその子供連れてやっぱりワッて言うんだ。それが俺がロクニの修繕やった(昭和62年3月14日から31日の復元調査工事・構内試運転復元工事)時に思った、まぁ夢だわな。」

 その夢は、私達が確実に継承致しました。だから何年掛かろうと、これは実現したい・・・「感染った夢」かも知れません。でも昭和62年2月までは実現が不可能と断言迄されていた「夢」、昭和62(1987)年3月31日22時には吹雪の小樽に復活の咆哮を上げて、翌年には後志の山々を駆けて、「夢が現実となった」瞬間、「不可能が可能になった」瞬間を私達はこの眼で目撃しているのです。

 人間五十年下天の内を比ぶれば夢幻の如也一度生を受け滅せぬ者のあるべきか・・・その短い人間の原動力はやはり夢です。その夢に大小高低有れどもそれはその人の宝物であり、咲かせる華です。でも、その夢が大きければ大きい程、困難と言う波は高く、峰は険しい・・・しかし故に動く人の数も大きいし、純粋であるが故に夢は生き続け、更に拡がり、やがて家族や地域、否一国、歴史も大きく転換し得るものである事は、歴史の教科書にも沢山書いてあります。

 実現しない事を夢とは呼びません。実現すべき価値のある事を夢と言う筈です。何時しか大人と言われる人達は子供達に夢を語る楽しさを教えなくなりました。人の価値って学歴ですか?地位ですか?財産ですか?一生のうちの笑顔の時間の総計や、共に笑う人の多さが価値判断基準なのでは無いですか?その夢が百年・二百年後に多くの人の笑顔の素になる事、そんな夢を育み、実現させる汗をタオルで拭き取れる事が、価値と言えませんか?

 蒸気機関車を復元して走らせる夢、私達が思うのはそんな「価値」の創造以外ありませんし、各々の華を爛漫と咲かせる為にこそ、人生勝利の凱歌を高らかに歌いその瞬間を目指しているのであり、単に蒸気機関車の写真が撮りたい、それで銭を稼ぎたい、そんな気持ちでは二十数年のこだわりを持ち続ける事など出来無かったのです。

 巨大な失敗の経験とその冷静な分析があればこそ、「蒸気機関車復活の夢」を熱く語れるのです。でも、その根底にあるものは「老いたる同志の築きたる誉の軌道をいざ護り抜け」、出会い教えて頂いた方には亡くなった方も多くいらっしゃいます。鉄道員で有る無し関係無く、夢に人生を掛けた方も多くいらっしゃいます。その先輩達の誇りが私達の情熱であり、汽笛で歓声を上げる子供達の笑顔が私達の最高の勲章であり、栄誉です。


 平成13(2001)年12月、小樽市の喫茶店で壮年のマスターが常連らしい老人の紳士と「前に走ってた汽車は迫力あったなぁ、汽笛が店迄聞こえたんだわ。」「孫と乗ったわ、今度は曾孫とな、乗りに出掛けるんだぁ。」「いやいや、そりゃ嬉しいでしょ、」「(曾孫の)顔見る言い訳なんだけど・・」

 楽しそうな会話に、ちょっと誇らしい気持ちと反省と・・・それを思い出にして頂ける人こそ大切なクライアント(顧客)であり、日常生活に交通文化財が融和する事の意味と深さを知った瞬間でした。

 人が元気になれる夢、不器用な私達にはそれは蒸気機関車復活の夢としか語れません。しかし、交通文化財全てにその可能性があり、故郷全てにその種は植えられているのです。

 梅も桜も厳しい風雪の冬を超えるが故に美しく咲き、甘美な香りを惜しまず放ちます。その冬こそ人が大きくなるチャンスなのです!そして、冬は必ず春と成り、秋に戻る冬はありません。夢に真剣に向かった人が得られない、咲かない華なんか無い、絶対に無いと、そう私達は確信しているのです。

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