鉄道輸送警備隊の目的は、「鉄道輸送警備隊は、鉄道・交通文化及び地域観光の利用促進と振興を主眼とした蒸気機関車牽引列車・企画列車(以下、企画列車等)の運行に際して、当該列車及びその沿線等に於て、列車運行の定時と当該列車乗客及び一般乗客、観覧者等の防犯防災等安全の確保を主眼とした鉄道輸送警備並びに、自治体や特定非営利活動法人・商店街などの公益組織(以下、公益団体等)が主体となる催事や、広く地域の防災防犯を主眼とした自主防災防犯警戒活動を展開し、勤労者並びに青少年の社会貢献参加を促進しつつ、地域の発展と健全・安全で社会文化的住環境の実現を目指し広く国民の福祉増進に寄与するを目的とする。」(規約第3号鉄道輸送警備隊規約第一条)となっております。

 イベント列車やSL列車運行で最も大きな障壁が鉄道マニアです。

 実際は物珍しさで見物にお出でになる観光客・地域の方々も含むものですが、ついつい撮影にのめりこんで列車との接触や他の方とのトラブルも発生しがちで、更に猛者のマニアは重いカメラバックに三脚抱えて、山道踏み分けて鉄橋やトンネルも渡ってしまうし、レールの脇に構えて対向列車停めてみたりと暴若無尽に・・・それもグループでそんな事をするものですから、沿線に警備員を配置したり、踏切に職員を置いたりとその「警備人件費」だけでSL一両分の復元工事費並となる事も。

 勿論それは全体で少数の方の行為なのですが、沿線に「万人」となった場合は比例して危険も多くなり、無経験な警備員では対処し切れないのが事実です。

 そこで、その鉄道マニアに情報のネットワークを持ち、安全な撮影を呼び掛けると同時に行動などを事前に把握し、危険箇所に警備を集中させて「効率良く」警備を実施するシステムとしたのが鉄道輸送警備隊で、設立の目的は「自主的な防災と防犯の警戒警備活動」を行う専門の「レールボランティア」チームの実現でした。

 今日では、その経験を活かしてイベント会場の誘導・保安や駅周辺の防犯警戒等、地域生活にも密着した「安全な暮しとまちづくり」のお手伝いもさせて頂くものとしております。

 また、平成16(2004)年3月7日からスタートした千葉県流山市・松戸市での観光案内ボランティア活動も私達鉄道輸送警備隊の担当となり、それまでとは全く異なった活動・・・ではございますが、実は「地域の元気」こそ「交通文化財保存活用」の源!と、言う事でNHKの大河ドラマが新選組となる事から、新選組由縁地の流山・松戸の観光活性化を目的として、警備隊全面担当事業と言うスタイルで実現しました。


 交通文化連盟の源流となる「日本トレインクラブ」は1979(昭和54)年10月1日に創設されましたが、このサークルは当初から「ボランティア」をテーマとしており、1981(昭和56)年11月28日に蒸気機関車「C623機」の復活と北海道の鉄道旅行を研究する事を目的とした「北海道鉄道研究会」が日本トレインクラブから派生して独立すると、ボランティア活動もこちらに移りました。

 この2つのサークルは独自に或は合同で多様な催事を行い、又は派出する中で、昭和57(1982)年5月3日に日本トレインクラブと北海道鉄道研究会が「合同」で「レールフェステ」開催時に展示物の防護を行う専門のチーム「警備班」を設置し、それまで個々の派出に際して個々にチームを組んでいたものを、「常設」としました。これが鉄道輸送警備隊のルーツで、その年の6月22日や11月14日には東北新幹線大宮暫定開業で多くの「名列車」が消えると言う事で、鉄道マニアで混乱する上野駅等に「自主的防災警戒」に出て、これ以降「防災警戒」が主な活動となり、「日本最初のレールセキュリティボランティア」となるのです。

 昭和58年4月2日には、「警備班」を「鉄道輸送警備隊」と改称し、もともと北海道鉄道研究会が、「C623機復活」を目的として設置されたサークルでしたから、「実際C623機復活となれば問題は鉄道マニアの防災対策」と言う事で、イベント列車の沿線警戒の研究を始めて、昭和61(1986)年3月1日には、北海道鉄道研究会内に吸収されて「北海道鉄道研究会鉄道輸送警備隊」となり、同年8月のイベント列車「そらち号」で、列車添乗輸送警備にも任る様になりました。この「そらち」号を機会にそれまでの「兼任重複」のみの隊員構成が「専任者」も含める様になり、「階級」もこの頃決められ、活動を「レールボランティア」と呼ぶ様になりました。

 またこの年の秋からは、国鉄小樽築港機関区企画室や「小樽SL復活の会」と接触し、連動してC623機計画の支援を行う事となり、鉄道輸送警備隊はその担当部所として2つのサークルの中核的組織に発展、昭和62(1987)年3月31日の国鉄最後の夜には、吹雪の小樽築港機関区で復活したC623機の脇で陰に隠れて整理し、翌年の復活運行時には「C62ニセコ」最初の添乗警戒の任にもあたりました。

 一方、各地で実施される蒸気機関車やレトロ列車の運行の沿線・添乗警備にも活躍、会津の「磐梯・会津路号」は1990年から1995年まで5年間、沿線警備ボランティアに任っておりました。併せて、それらの運行の支援活動として、怪電話や盗難、妨害等運行支障を起こす鉄道マニアの犯罪に対する情報の分析や調査等の防圧活動も水面下で行い、幾度かそれらの検挙で当局に協力しております。

 平成4(1992)年10月1日に、日本トレインクラブ系列のサークルが共同組織「青年文化連盟」を設置すると、鉄道輸送警備隊は改めて北海道鉄道研究会鉄道輸送警備隊として、北海道鉄道研究会自体から独立した組織・会計とされ、最大時隊員65人・5個小隊編成を誇り発展を目指したものの、レールボランティアどころか、ボランティア自体が認知されにくい鉄道と言う環境下と、C623機計画=北海道鉄道文化協議会の破綻や、日本トレインクラブの内紛で殆ど活動が出来なくなり急速に縮小、平成7(1995)年以降は青年文化連盟主催の団体専用臨時列車の警備時のみ活動する、常任スタッフ不在の組織になってしまいました。

 しかし、平成14(2002)年1月の特定非営利活動法人・交通文化連盟発起人総会で、鉄道輸送警備隊の処遇に附いて検討された際に、やはり日本トレインクラブ・北海道鉄道研究会の流れを汲む組織に、鉄道輸送警備隊は不可欠、と理事長(現・鉄道輸送警備隊執行幕僚長兼任)が強く要望し、6月の特定非営利活動法人・交通文化連盟発足と同時に、鉄道輸送警備隊は本連盟の1部所として存続したのです。

 実は存続したには理由があり、NPOで地域安全活動を行う処は増えて来たものの、「列車添乗警備」や「接客誘導」の経験をするなどは、他は唯一「財団法人ナショナルトラスト」くらいで、実績距離と「防圧情報活動」に至っては、もはやボランティア活動の領域を超えたもので、これからはそれら「特殊な」経験を、交通文化財保存活用や地域支援に役立てて行けるのではないか、との観測と、非公式ですが多方面から期待されている事で、従前の経験と失敗を含めて、その伝統を継承するために「鉄道輸送警備隊」の名も存続したものです。


(主な活動実績)

専用臨時列車「そらち」号添乗(北海道・札幌市〜歌志内市・上砂川町/1986)

専用臨時列車「会津ムーンライトエクスプレス」号扉警/沿線警備(上野〜会津若松〜上野/1989)

専用臨時列車「足尾エクスプレス」号扉警/沿線警備(上野〜間藤/1989)

専用臨時列車「ドリーミングムーンライトエクスプレス」号扉警/沿線警備(上野〜山形〜上野/1990)

専用臨時列車「わたらせエクスプレス」号扉警(上野〜間藤/1992)

専用臨時列車「エクセレントエクスプレス」号運営(小牛田〜上野/1996)

専用臨時列車「Dエクスプレス」全シリーズ運営(東京都・千葉県等/1993〜1996)

団体専用臨時列車「清里高原・アストロカー」号輸送(品川〜小淵沢/1989)

団体専用臨時列車「夏休み親子ふれあい旅」号輸送(松戸〜大月/1991)

団体専用臨時列車「房総お座敷列車の旅」号運営(熊谷〜安房鴨川/1996)

団体専用臨時列車「川口フェスタエクスプレッソ」運営(大宮〜南浦和/1998)

蒸気機関車「C62ニセコ」号扉警(小樽〜倶知安・ニセコ/1988〜1992)

蒸気機関車「オリエントエクスプレス」号沿線警備(上野・大宮駅他/1988)

蒸気機関車「磐梯・会津路」号沿線警備(郡山〜会津若松/1989〜1994)

催事「レールフェステ」シリーズ運営(各地/1980〜)

催事「C62まつり」誘導(北海道小樽市/1988)

催事「日本鉄道保存協会設立総会」会場整理(東京都/1991)

催事「ドリームトレイン1999」支援(東京都品川区/1999)

催事「勝田電車区まつり」展示警戒(茨城県ひたちなか市/2001)

観光案内「幕末機動警察隊・新選組/流山駅及び本陣跡」(千葉県流山市/2004〜)

催事「綾瀬新撰組ウォーク」支援派遣(東京都足立区/2004)

催事「矢切歴史ウォーク」支援派遣(千葉県松戸市/2004)

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