私達交通文化連盟の「ボランティア」についての基本解釈は、「志願兵」の原意の通り、「自発的に非営利・公益活動を行う市民」と言うもので、「無報酬で労働する者」や「新しい事業の要員」とは考えておりません。確かに「Non Profit Organization」と言いますが、「Not Professional」では社会に通用する活動は出来ません。
またボランティアは「無償で」と言われる方も居りますが、専門的な人材・洗練そして先鋭化されたシステムの構築が交通文化財保存には必要で、この為には「報酬」「専業職員」も必要と考えます。
しかし、交通文化連盟は「特定非営利活動法人は企業・役所に換わる新しいビジネス・行政サービスシステム」とは解釈しませんし、全てのボランティアに生活の基本収入になる程の給与を支給する事もこれはボランティアとは言えない、と考えます。
確かに「専業職員」は必要で、そのスタッフの生活保障はこれもまた不可欠です。しかしそれは「ボランティア」では無く「オフィシャルスタッフ」で、NPOの人間=ボランティアと一括する事は大変誤った解釈ではないか、と考えます。また、生活の基となる程の報酬が欲しいのならば仕事をする、これは至極当然ですし、交通文化連盟は「勤労青年の特定非営利活動法人」と言う位置付けが原則基本ですから、ボランティア全員に無条件で交通費等補助的のものを含めて報酬を付与する事は考えておりません。(報酬や補助費用等については規程が定められております。)
企業は利益の為に業務を行いますが、特定非営利活動法人は、特定非営利活動促進法より推察し、「金額的以外の価値の為」により事業を行うものと考え、交通文化連盟では「私利より公義也」と捉えて、報酬受給の有無・指揮管理責任の有無で区分し更に、収益事業の要員は「従業員」と別個のものとし、各々責任と任務分掌を明確にして、多様・多角的に活動に参加して頂く様心掛けております。
また、ボランティアと言うと何処か「余暇的」「趣味的」な響きに感じる方も多い様ですが、日本語では「社会奉仕」です、勿論「楽しみながらのボランティア活動」は長く続けて行く上で重要ですが、そこに「いい加減」や「馴れ合い」、「甘え」は許されない筈です。
特に交通文化連盟では、列車添乗や警備活動は自分や御参加の御客様の生命の安危に直接関係しますし、レールフェステ等の催事も市民から見れば会場なり、主催者なりの「関係者」と見られるものです。時には厳しい現場もあります。でも「真剣に真面目に一生懸命が面白い!」のが社会文化ボランティアの醍醐味でして、規模も組織も小さいけれども、その「責任の重さ」は「指命の重さ」、或いは「期待の重さ」でもあります。それに応えるには、やはり「真剣に真面目に」任る!しかないのです。
交通文化連盟では活動に参加する事を「任務」と呼びます。その業務を任せる、と言う意味合いですが、責任も任務に付いて回るのですよ、と言う意味でもあります。
誰かに感謝されたり、耳障りの良い台詞で称賛されたり、金銭で評価されたり、勿論そうして頂くものを創るべきものではありますが、「支障無し・無事終了」が任務の勲章、横柄では困りますが、そんな高い誇りを秘めての任務、これが二十余年間私達を支え続けたものでもあります。
社会文化ボランティアは特に地道な活動の蓄積の上に始めて結果が得られ、その時間的間隔は二・三年は当たり前、時に十年、二十年・・・その永い長距離マラソンの様な道を悠然と進むには、やはり覚悟と自己を戒め、奢りの無い気持ちで向かい合わないと、続かないものです。
ですが、苦しいばかりでは身が持ちません!時に仲間達は喋って騒いで!その積み重ねが「会員」を「人材」にするのです。
「冬は必ず春と成る」と申しますが、厳冬を乗り越えた故に梅は静かに誇り高く香り、桜は絢爛と咲き降るのです。私達交通文化連盟のボランティアの定義は、その各々の桜梅桃李の「華」を任務と言う冬に培い、個々の私生活・職場・学校で爛漫と咲かせる機会と、考えます。
|
|