映画/ドラマ/娯楽

大いなる旅路

(1960<昭和35>年3月8日・東映東京撮影所/白黒)


(スタッフ)

監督・関川秀雄

脚本・新藤兼人/原作・加藤秀男

制作・大川博/音楽・斎藤一郎

撮影・仲沢半次郎/照明・銀谷謙蔵/録音・広上庄三/美術・森幹男


(キャスト)

岩見浩造(盛岡機関区機関士)/三国連太郎

佐久間太吉(岩見の親友・後新橋駅長)/加藤嘉

岩見ゆき子(浩造の妻)/風見章子

岩見忠夫(浩造の長男・機関士)/南廣

岩見静男(浩造の次男・電車運転士)/高倉健

岩見孝夫(浩造の三男)/中村賀津雄

佐久間義樹(太吉の長男)/梅宮辰夫

盛岡機関区長/東野英治郎

駅長/花沢徳衛


(あらすじ)

 大正末期、国鉄盛岡機関区機関助士・岩見浩造(三国連太郎)は、吹雪の山田線貨物列車に乗務中、雪崩に巻き込まれて列車は転覆、瀕死の機関士・橋本は岩見に列車防護と駅への連絡に走らせた。

 この事件が岩見の機関士人生を大きく変えてゆく・・・志を立てて東鉄教習所(後の国鉄中央鉄道学園)を受けたものの不合格、しかし岩見は機関士人生を黙々と進んでゆく。

 列車の安全運行と愚直なほど一本気な鉄道屋・岩見は長男・忠夫(南廣)の戦死や三男・孝夫(中村賀津雄)の失踪、そして死・・・しかし、岩見の機関士人生は変わる事はなく、やがて戦後の混乱期を経て、岩見は鉄道功績章を受け、長女(小宮光枝)の住む名古屋へ妻・ゆき子(風見章子)と共に向かう。

 乗車した「第一こだま」は田町電車区運転士になっていた次男・静男(高倉健)の運転だった・・・


(寸評)

 寡黙に生きた鉄道屋人生を描いた秀作で、ドラマとは言え国鉄人を明快に描いている。その後の東映東京の「国鉄マンシリーズ」の原点でもあり、鉄道ファンはもとより鉄道人全てにお勧めする作品です。

 主演の三国連太郎さんはこの後に東京車掌区の専務車掌や、最近では日本国有鉄道第四代総裁(十河信二役)にまで「昇進」される一方、次男役の高倉健さんは田町電車区運転士を皮切りに、日本鉄道建設公団(現・独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構)青函建設局竜飛鉄道建設所長や駅長など「鉄道屋人生」を「歩んで」おります。

 盛岡機関区長には、徳川大納言光圀こと初代・水戸黄門の東野英治郎さん、平津戸駅長に花沢徳衛さん、また主人公の親友で新橋駅長になる佐久間太吉には加藤嘉さん、その長男・義樹に梅宮辰夫さんが出演されています。

 マニアックに言えば、「点と線」での刑事役やウルトラセブンでキリシマ隊長の同期役でニヒルな演技を見せていた南廣さんが役者とは思えない「機関助士ぶり」を見せますし、流石に「現場研修」を受けた三国さんのレギュレターさばきは本物。


(エピソード)

 1944(昭和19)年3月12日午前8時7分に山田線平津戸〜川内間小滝鉄橋(79m)で実際に起こった雪崩による列車転落事故がモデルで、事故列車はC58283が牽引、加藤岩蔵機関士は瀕死の重傷を負い乍らも、軽傷の前田悌二機関助士を平津戸駅へ向かわせ、救援隊の到着を見届けて殉職したと言うもので、1972(昭和47)年11月に宮古駅構内に「超我の碑」として刻まれた。

 この作品の圧巻は廃車予定の8620型式蒸気機関車を、事故現場に近い山田線で実際に転落させるシーンで、1960(昭和35)年1月下旬に行われました。

 実は三国連太郎さんはこの作品に関連して、十河信二総裁に二度程会われたそうで、十河総裁の「条件」として実際に盛岡機関区で「機関士の研修」を受け、「乗務員室乗車票」を貰って撮影に入ったとか。更に雪崩の転落シーンでは、総裁の「本物で無いとダメ」と言う事で、国鉄全体を上げて協力し、実際列車を転落させたとか。

 実際事故は昭和19年で機関車はC58機だったものを、ドラマ設定に合わせる為に大正生まれの8620機を選抜、貨車も戦前からのものを組成すると言う凄い気合で、実は十河さん自体がこの事故の際に運輸逓信省鉄道総局の計理に居て、少なからず関係していたらしい。

 また、シーンによって出てくる列車や制服・小道具もその時代のものを調達したと言われて、日本映画史と日本鉄道史でこれを超えるものは無い!と言われる程のこだわりだったとか。


(上映及び販売)

 東映からビデオで販売されている他、「えきねっと」では税込4515円(宅配の場合、JR東日本エリアの場合は指定駅で受け取る場合、3990円になります。)で販売されています。


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