どうしても我国では「文化財」と言うと幾百年前に建てられた、とか戦国時代に何とかが某に贈った陶磁器だとか、時間的価値評価が優先してしまって、明治以降に築造された建設物や殊に工芸品は「文化財」では無く「美術品」と呼び方まで変わったりします。

 近年、「近代化遺産」或は「産業文化財」と言う呼び名でわずかづつ研究や保存が着手されてきたものの、極端に言えば蒸気機関車を「文化財」と認識される方はやはり少ない様です。


 明治5(1872)年10月14日に本格営業を開始した日本の鉄道(新橋〜横浜間)は、百数十年間に渡り確かに日本の近代化と発展、復興と経済大国への基盤となり我国を支え続けて来ました。また、船舶は幕末に蒸気機関搭載の「洋式船」が登場以来、300余の「国」(藩)を「日本」一つにまとめ、海に隔離された島国を技術・輸出大国へと押し上げ続け、自動車はきめ細かく生活の向上と発展の礎となり、世界を席巻する工業製品と成長して、戦前から始まっていた航空旅客貨物輸送は、今日世界の中の日本を形成する重要な要素となりました。

 有史以前から、人間は交通を以て豊かな生活環境の開拓と、可能性の拡大を得て参りました。人と人の流れ、物と物の流れ、時には戦乱の道具となっても、異文化・異環境の人間同士を結び付け、相互理解を促し、その出会いや交わりが新しい時代と人間融和の平和環境を構築し続け、その存在価値はインターネットや超高速大容量高度通信・情報化社会が進展する今日、そしてこれからの時代、更に高まりつつあると推察するものであります。


 刀や鉄砲では人間の相互理解や融和は絶対に作れません、名も無い庶民、一人間と人間の一対一の対話以外に、例えばお隣に住む方にせよ、一つ屋根の下に暮らす家族でさえ、相互に理解し協力し、助け合い、より深い「生活」を実現する事なぞ出来ないのです。

 例えば、貴方が失恋したり仕事や学校で大失敗して落ち込んだりして、メールで愚痴こぼしたりして、それに対してメールで励まして貰うと嬉しいものですよね?それが電話だと直接暖かい言葉が温もりが伝わって更に嬉しいでしょ?それが直接尋ねて呉れて、「大丈夫だよ!頑張れよ!」と優しい空気と共に暖かい手に触れれば、もっともっと嬉しいものです。

 コミュニケーションの原則は「会う事」以外に他なりません。インターネットもテレビ電話も所詮は「出会い・触れ合い」の補助道具でしかありません。そして「触れ合い」は自分の中に、人の中に必ず新しい「行動」を起こさせる「パワー」を持っています、それが「文化」です。

 そのコミュニケーションと、一人一人の元気を創る素が「交通」です。

 交通文化連盟は、日本に住む人間の集団として、最も身近で不可欠、そして国家基盤の最重要要素である「鉄道」の「交通文化財」から先ず入る事にしました。日本人の交流と物流を支え続け、これからの時代に絶対無くてはならない「触れ合いから創造される価値=文化」を創る場として、人が元気になる切っ掛けとしての交通を考えて創造構築する為に、その歴史から学び、そして地域が、日本が元気で暖かい郷土になる為のヒントを探し、形にして子供達に継承したい、そう考えたのです。


 平成十年代に東京都に生れた子供さんが、何故か公園の片隅に置いてある蒸気機関車を見て、「シュシュポッポッ!」と喜んだり、秩父鉄道や真岡鉄道で生れて始めて蒸気機関車を見る横浜市生れの小学生が、遠くの汽笛に「SL来たよ!」と両親に眼を輝かせて言う、そのパパも東京都区の生れで20代、「あれ、SLだよ、石炭で走るんだよ!」「え〜っ?!」なんて、微笑ましい光景ですが、考えれば首都圏では昭和45年度には蒸気機関車は全面引退し、パパだってテレビや絵本や映画じゃ無ければ蒸気機関車は知らない筈。通常営業では昭和50年12月に北海道室蘭本線でC57機が牽引した列車が最後、国鉄では昭和51年3月31日に北海道追分町の機関区にあったD51機と9600機が最後でしたから、昭和54年に復活した山口線か静岡県の大井川鉄道かで乗った事あるのかな?「いえ、ボクも本物は初めて・・・」それなのに、親子は楽しそう。出発合図の汽笛に歓声まで上げて・・・

 何処かに「精神的遺伝子」みたいなものがあって、蒸気機関車の汽笛やカットオフのドラフト音に過去世の記憶でも甦るのでしょうか?でも、その親子の会話から「着いたらおそば食べようよ」とか「いちご狩も出来るのね」なんてママが提案、「面白そうだね、今度は・・・」と笑顔のお喋りは終わらなさそうです。これが「文化」です。私達がそう確信する場面は一度や二度では無かったのです。

 勿論交通文化財は蒸気機関車だけではありません。客車、気動車、電車も今日迄の日本の鉄道の礎となったものですし、鉄橋、駅舎、トンネル、橋、信号、と言った建築物や切符、列車運行図表も文化財です。しかし、それらをそのまま展示・陳列するだけならば、博物館の仕事であったり、任意のサークルでも数多く実施しております。もっと言えば、特定非営利活動法人になってまでやるだけの事では、私達にはありません。その文化財に「地域の元気」と「発展・展開の可能性」と言う付加価値創造の要素を加えて、先程の親子のお喋りの様な笑顔を造り出したい、その重要な「材料」が私達の言う「交通文化財」なのです。

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