元々、在来型一般車や旧客と呼ばれているシリーズのうち、40才以下の方が「イメージ」するのは42系や35系で、蒸気機関車に「似合う」と言うよりは、「蒸気機関車の時代にはそれしか無かった」ってな感じなのですなぁ。
それが、もうちょっと上の世代以前となりますと、地域や思い入れにより差が出て参ります、その良い例が「特二」つまりグリーン車であります。
東海道・山陽・東北と言った幹線沿いの方は、「機関車は?」とお尋ねになる確率が高くなります。
「ええ、C62なんて・・・」
「そう、ならロザや食堂は必要ですな」
で、この段階で現有するJRの機材ではアウトなのですね、在来型一般車の食堂車はJR北海道に2両ありますが、グリーン車となると無い!JR西日本のマイテ492は「特別二等座席車」では無く「一等展望車」なのです。
地方の方の場合、テンダー機とタンク機でイメージされる客車が違う様子で、C11機やC50機だと「屋根の端が丸まった奴ね」となります。
つまり、35系や32系、はたまた17メートル級オハ31系なんですね、勿論各世代共通として「冷房キノコのくっついたのはグリーン車でも無い限りダメ!」とか、「自動扉の客車は蒸気機関車にゃ似合わない」とされます。
12・14系や50系に対する「拒否反応」は想像以上で、鉄文協時代C623機のスポンサーに名乗りを上げた某ソフト会社社長氏は機関車と共に客車にも大きな要素を求め、在来型一般車で無いならばスポンサーにならない!とまで・・・
但し、その考え方は至極正当で、その故にC623機の「価値」はかなり上がったのは確かであります。
それを補うとは言え、新造客車そのものに対する拒否反応はかなり覚悟してます。
が、問題はイメージなのです。
協三工業の既製品(図面上)はなかなかレトロで良い雰囲気なのですが、日本車輌製造が作った「本気復元車」に比較すればやはり「レトロ調」にしかならないのです。
とにもかくにも作るとすれば御客様が満足されるもので無ければ意味も価値も無いのでありまして、その全ての中心は「イメージ」なのです。
扉を開けて客室に入れば、蛍光灯が照らすモケット・・・静寂な列車に足音が響いて、遠くに汽笛が鳴ると車輪の音、客車の車体の軋む音、少しづつ速度をあげるリズム・・・窓の外に出発信号機の赤ランプが過ぎて・・・窓を少しだけ開けると、ほのかに石炭の燃えた匂いが吹き込む・・・なんて風に、乗っている時間に色々なイメージを沸き立たせるイメージの客車がどうしても不可欠なのです。
四国では客車が無い、と言う事でディーゼルカーを代用した事があるそうですが、これが現実なのです。
しかし、そんな悲しい汽車に創造力を培わせたい「子孫」を乗せなければならない、なんて程情けない事も無かったりします。
そこで、このプランでは基本を42系としてイメージングの核を「昭和45年」としました。高度経済成長と蒸気機関車が共存した時代、最もポピュラーな客車であり、急行から普通まで広く使われた、と言う事で・・・・
しかし、そのままのコピーでは平成に通用しませんので、手を入れるべきところは改善し、あくまで「模造品」でも「本物に出来るだけ近いものに」を第一としたのであります。
結局、図面に書き出したのは1999年になってからでした。最初は「スハフ32」を「再現」と考えたものの、部品数の増加による重量の増加が結構なものとなる事が解ったので断念しました。
何せ全く未体験な作業ですから、手探りのままでしたが、強力な助っ人達が登場して「部品固体の重量」からの積算をしてくれました。
しかし、その後新型電車の重量の資料が手に入りまして、数週間の作業が一瞬で・・・さてさて、問題は「製造コスト」になりまして、市販品を多用する事で価格の低減を狙うしか無い・・・と言う事で・・・
或る電機メーカーで。
「この空調機はどの位の重さです?・・・は〜じゃ・・・燃えませんかねぇ?」
こんな奇妙な質問をし回り怪訝に見られる事多々。
或程度基礎が出来上がったので、デザイン・・・となりまして、役にたったのは「Nゲージ鉄道模型」だったりします。
殊にKT社のものは、公私共々お世話になった先輩が関わったもので、思い入れが違う!
その先輩と鉄道模型ショー(銀座)で再会した際にちょっと話を・・・
「へぇ〜そんな事しなくたって、旧客(在来型一般車)未だいっぱいあるんじゃ無いの?」
「それが・・・老朽化激しくて、実用に耐え得るものに直すとなると、結構出費になると言う事で・・・」
「それでも何でも、C623がもう一度走るんだったら何でも良いか!でも12系とか14系とかじゃ・・・そうだな、やっぱ雰囲気って大切だよな」
「でしょ?」
「まぁ、俺が死ぬまでにはやってくれんだろ?」
デザインを考えるのには、やはり並べてみるのが一番と言う事だったのですが、これがなかなか難しく、やはり「見慣れた」ものに引っ張られてしまうもので、落ち着いたのが「スハフ42/スハ43」だったのです。
別の友人が「何やってるの?」と不思議そうに尋ねたもので、
「いや、客車をね、造ろうと・・・」
「蒸気機関車、大変だねぇ」
図面にまとめ始めた頃に、先の先輩の訃報が入りました。
生まれ変わった彼が、C623機に牽引された客車に興奮した姿を祈りつつ、図面に囲まれた作業は続いたのでありました。
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